2016年08月


 午前中に駅まで新幹線の払い戻しに行った。寒いとはいえ晴れていて、冷たい空気が爽やかで気持ちがいい。それなりの手数料を払うときにはちょっと残念な気分になったけれど、帰り道をずんずん歩いているうちに気が軽くなってきた。家についたら早速ホテルをキャンセル。それからすぐにまた、犬の散歩に出た。

 そうだ、ワンコとも一緒にいられるし、雪の一日、家にこもっていられるなんて、ああ、なんて素敵なんでしょう。こうなったらちゃんと降ってよね、雪。『自負と偏見』(ジェーン・オースティン / 訳・中野好夫)を読んでいるのだけど、訪問した他人の屋敷で風邪をひいた年頃の娘がなぜそのままその家で養生したり、そこへ家族が見舞いに行ったりするのか、どれほどののか……などなど、どうも今ひとつイメージが湧いてこない。
 そこで、なんとなくの記憶を便りに「hulu」で探したら、BBCが制作したコリン・ファース主演の『高慢と偏見』というテレビドラマがあったので、一話だけ観てみた。一話だけと言っても1時間半少しの長さだったので見応えがあり、ちょうどわたしが本で読んだ辺りのところで切れたので、なるほどなるほど、では続きは後にしましょう……ということでそこまでにした。これからはダーシー=コリン・ファースで読み進めることになるのかな。

 その後、お昼を食べながらのんびり眺めたい(つまり字幕じゃないものが観たい)と思って『しあわせのパン』(大泉洋・原田知世)を観たのだけど、途中で猛烈に眠くなって脱落。

 朝からそんな風にだらだら過ごしていて、ひょっとしたらわたし、体調悪いのかしら? と思い当たって慌てて否定したんだけど、やっぱりどこか平常じゃない気がする。お腹の感じとか、頭の重さとか……とにかく動きたくなくて。

 寒いなーと思ったら雪が降っていた。寒気じゃないよね。

 ところで「hulu」を契約して数ヶ月経ったけれど、途中まで観て視聴が止まっている海外ドラマがたくさんある。あれもこれもと一、二話かじってみては、続きはまた今度でなかなかない。(というか、ひとつひとつが長い!!)

 時間に合わせたり録画予約する必要もなく、いつでも観たいときに観ることができると思うと、今じゃなくてもいいかということになってしまう。でも「好きなときに観れる」(TVじゃなくてもPCでもスマホでも)はやはり魅力だし、借りて来たときのように、早く観なくちゃ返さなきゃというプレッシャーがないのは助かっている。もっとも新しい映画などはないので、TSUTAYAさんとの縁も切れないのだけれど。

花のことは詳しくない。名前と、最低限の管理に必要なこ沖咖啡と以外は知らない。それだって忘れがちだ。だから覚えていることしか書かない。

 何年か前のブログを見たら、コンパクトデジカメや携帯で撮った写真を、たまに、それもとても小さく載せていた。内容は花とは何の関係もないことがほとんどだった。

 新しいカメラを買ってから写真を撮るのが面白くなって、載せるサイズも大きくなった。ちょちょいと更新して、文はあまり書かなくなった。そういうここをたまに客観的に見ると、アナタダレなの? と思う。何がいいとか悪いとかじゃなく、なんだか、誰か他の人のサイトを見ているような気がしてくる。
雨が止み、流れていく雲を見あげて冷たい風に吹かれながら、成績上げたいから勉強をしたいんだけどNespresso咖啡機やる気が出ないんだよって言ってる中学生みたいな思考回路でぐるぐる迷ったり悩んだりしている。無駄なことを考える時間があるから考えていられる。もしも決定するするための時間や、それをするに要する時間が限られていたら、スパッと決めるしかなくて、やるかやらないかしかなくて、あとからその結果について考える暇もなく、物事はスパスパと片いくような気がするけれど、たぶんそれも幻想なんだろう。その時はその時で、ゆっくり考えて迷しいに決まっている。

 もったいないもったいないと思いながらもったいない時間の使い方をするのはもったいない。ごろごろすることもできず、せかせかすることもできず、自分探しの旅に出るガッツもない。何がしたいんだか分からないけれど、したくないことはたくさんある。とりあえず試験前だし勉強机の前から離れることだけはできないってやつだ。延々と机にしがみついてるだけ。人に話せば「暇なんだね」とか「贅沢だね」と言われるようなことだよねと、そう考えてしまえることからして嫌になる。

 見放されて空っぽになったんじゃない。空っぽだから見放されたんだぜ。

 もう、書くことなんかなんにもないよ。
 
 って書いたら今、ものすごくドキドキしてきた。なんだろうこの動悸や熱さは。
 わたしの中の誰かが怒っている。

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